2023年1月7日(土)
大晦日以来、昨日に続いて今日も山の稜線が見えた日でした。
さて、
「異次元の少子化対策」と唱えた中身はどんなものになるんだろう。
おおむね政治のキャッチフレーズは虚ろなものであり、「異次元の金融政策」は結局のところ社会全体としては異次元の金融失策となっています。
少子化対策もこれまでの長きにわたる対策が取られてきたにもかかわらず、人口減少は予測よりも前倒しに進んでいるので、失策と位置付けて良いのではないでしょうか。
むろん、子育て支援等の対策が不必要と言うのではなく、出生数回復には的が違うのではないか、と言いたいのです。
すなわち、子どもを産む以前の社会的性差に取り組むべきではないんでしょうか。そして若年層の社会保障を考えるべきだと思います。
そのために、まず理念として取り組むことは「家族主義」を排することと思っています。例えば、家庭が負担している制服代や副教材費、給食費といった公的教育費の全面無償化があげられます。
教育は子どもの持つ基本的権利であって子ども本人への支援であるべき。家族の所得にかかわらず子ども自身への支援とすべきものと考えるのです。それは高等教育においても同様で、保護者が生活保護受給者であっても子ども本来の支援であってしかるべき。若者を覆う漠然とした不安を取り除くことに注力することが肝要かと思います。
こと、教育費負担だけで考えても一人親家庭の負担は軽くなると思う。(むろん、一人親家庭の所得格差は別途考えなければいけないことですが。)
2023年1月2日(月)
私は初詣を旧暦にするようになった。最初は2017年かな、あやふやだけど。
なんでかって言うと、新暦の初詣がたくさんの人混みなので行きたくなくなった。
なんでかって言うと、私らの二十歳ぐらいの時は明治神宮など有名どころは混んではいたけれど、三が日で150万人ぐらいではなかっただろうか。それがコロナ前には300万人と倍増している。信仰心は減っているのに。
だからといってなんなの?
1970年代以降、お祭り騒ぎが世の中の主流になった。
ハレとケが逆転するようになった。毎日がお祭りを望むようになった。
それは高度成長の時代に青春を謳歌するようになった私たち世代が引っ張ったのだと思う。
1983年の東京ディズニーランド開業からは加速したのではないだろうか。
60の半ばを過ぎた頃に、そんな社会をつくる力の一端でも担ってきた恥ずかしさを感じるようになった。
現在社会の脆弱さを作り上げてしまった責任を感じるようになったのである。
テレビやお祭りイベントから遠ざかるようになった。オリンピックを代表とするスポーツイベントにも冷ややかな視線を向けるようになった。
人口減少社会に入っている今、もともとのハレとケの日常に戻る必要があると強く思う。
新年を祝うのは、自然の移ろいの中で、夜明けが早くなり陽光に力が漲るようになってくる旧暦元日こそふさわしい。
今年1月23日、私は古代からの依り代である奈良三輪山、大神神社に初詣に行きます。
2022年8月15日(月)
今年はロシアのウクライナ侵攻もあって、「今日」の関心も高かったように思います。
私も毎年必ず観る6日広島平和の祭典中継や今夜のNHKスペシャルを最後までしっかり観ました。
そんな中、NHKのニュースでは若い人たちの動きが多く捉えられていました。と、ふと、戦争を体験してはいないが戦争の「残り香」を経験していることに気づきました。
たぶん、小学3年か4年の頃、渋谷東映の映画を観に姉や兄に連れて行ってもらった時に宮益坂を下りた山手線のガード下で、あるいは父の職場があった新橋駅、地下鉄銀座線の駅を降りた地下道で、白装束の傷痍軍人が立っているのを見た記憶があります。
そもそも、住んでいた青山南町二丁目は旧青山練兵場の隣であり、軍人が多く眠る青山墓地の隣であり、赤坂側は米軍施設であったので「軍」という雰囲気がわずかに残っていた土地でした。
そういう意味で、私の世代は77年前に終わった戦争の肌感覚を僅かに残しているのかも知れません。白くないすいとんを食べた記憶と共に。
2022年7月22日(金)
新聞のある書評から、宇沢弘文著「自動車の社会的費用」をさらっと読み返してみました。1974年に発刊されたこの名著を私が読んだのはバブル経済が弾ける直前の1990年頃だったと記憶しています。バブルに浮かれながら度々ドイツを訪ねていた中で、彼我の車社会には違いがあることに気づき始めたのがきっかけだと思います。
著者は外国暮らしから帰国して東京の街を歩いたときの恐怖感をまえがき冒頭に記して日本の自動車通行が市民の権利侵害を許している社会構造を強く意識した上で経済学の視点から章を進めたと思います。
著作から半世紀が過ぎようとしている今、自動車交通に対する社会構造は基本的にはなんら変化が起きていないと言えるのではないでしょうか。
要は、自動車の「便利」優先で社会的価値観が構成されている、ということです。
私の住む地域社会では一部を除いてほとんど歩車分離は進んでいない。すなわち「歩」よりも「車」が優先されたまま。したがって、街の中で見えるのは車、車。人は見かけない。だから人と人とのコミュニケーションは疎ら。商業施設・公共施設には広い駐車場が必要でアスファルトに覆われた地面が増えるばかり。燃料消費とエアコンの代謝熱で温暖化に寄与していると言えます。人口密度が低いから誰も気にしていないでしょうけど。だから、移動にかかるエネルギー消費は単純に考えると車よりバスや鉄道の方が有利なのに30年先50年先を考えた新交通体系を考えようとしない。
世界では人々の投資先はバッテリーや水素への開発に絞られた関心しか無い。新型コロナのパンデミックのただ中で「移動」そのものの再考があっても良いのではないでしょうか。
人類は移動することで繁栄をしてきましたが、少なくても環境問題と人口減少を抱えた日本では移動することの意義を考え直してみても良いのではないでしょうか。その流れの中で自動車交通体系をとらえ直してみることは意味のある考察になると直感的に思います。
2022年5月25日(水)
下野新聞2022/05/24に「22年度日光市、当初予算1億6千万円削減」という記事がありました。前年比5千万円減の補助金見直しが大きいとの内容。見直した補助金のほとんどがイベントで、「イベントからプロモーションへの移行」を目指している、とのこと。大いに結構!と拍手を送りたい。
単純な例で言えば、商店街で「お祭り」を開催してその時は多くの集客があっても、年間を通しては集客の回復はなく通りは閑古鳥が鳴いている、なんてことはそこら中にあるはず。
もうそろそろ祝祭資本主義から脱却してもよいのでは。
2022年3月25日(金)
「 でも、子どもに将来の夢をうっかり語らせてはいけないと思います。あまり深い考えなしにであれ、一度「将来は……になりたい」というようなことを口にしてしまうと、子どもにとってそれが呪縛になって、自分の人生を限定してしまうリスクがあるからです。子どもたちはこの世の中にどれほど多様な仕事があるか、ほとんどぜんぜん知らない。その時点でうかつに「自分の夢」を語らせると、子どもたちはそれ以外の可能性を視野から遠ざけてしまうかも知れない。子どもたちには、できるだけ開放的な未来を保証してあげることのほうがずっと大切だと思います。」-内田樹氏(朝日新聞デジタル版)
25年前頃に娘の中学のPTA会長をやってたとき、何かの機会に生徒に話した、「将来の夢なんか持つな‥」と。我ながら良いことを言ったな、とずっと思っていたけど高名な人が同じようなことを言っているでちょっと嬉しい。
2022年3月8日(火)
<「ヘルシンキ 生活の練習」>から
「大変でしたね。でも、困っているなら困っているとおっしゃって下さい。そうでなければ、私たちはあなたを助けることもできません」
もしかしたら、できるかぎり自分の努力で解決しようという発想が間違っていたのかもしれない。自立とは他人に頼ることだ、と学生時代に教えられたというのに。
迷惑をかけないようにがんばるというのは、私は他人を助けないと自慢するのと同じことだ、と日頃は馬鹿にしていたというのに。
(中略)あれやこれやに困っているだろうとか、忖度してくれてもいいんじゃないだろうか。忖度ゼロって厳しいな。
2022年3月2日(水)
<「ヘルシンキ 生活の練習」>から
-保育園に入る権利は、保護者である親の労働状況にではなく、子どもの教育を受ける権利に紐づいている。保育園に入るために子どもが保育に欠ける状態であることを示す必要はない。-
2022年1月29日(土)
お祭りについて
<ブラタモリ・竹富島>から
お祭りだらけの竹富の暮らし。でも、それは島の自然と共に生きなければならない、あるいは良くも悪しくも自然の力に依存しなければならない人の暮らしから生まれたものがお祭りなのだろう。
私はここ何年もの間、「イベントが多すぎる、やめようよ」と近しい人に言ってきた。
○○祭り、○○フェスティバルやフェスタなど、この町でも一年中どこかで「お祭り」が行われている。それらは竹富島の祭りとは異なって、商工会予算や観光振興予算で賄われたり、ある意味、政策的な周知啓発を目的としたものがほとんどである。
私の独断ではこの手のお祭りやイベントが増えたのは東京ディズニーランド開業からだと思っている。そう、アメリカが中心となったイベント資本主義が隆盛した結果だろう。
私はあらためて口にしたい。
「もうやめようよ、日本人の好きなオリンピックをはじめとした大なり小なりの経済効果を期待するイベントは!」
竹富島のお祭りのように、日本人にとってのお祭りは身近な暮らしの中にある自然を敬うハレの行事、その原点に戻ろうと叫びたい。
2022年1月8日(土)
今日の新聞から。
「現代は、『遊び』が価値になる時代。将来の夢はなくていい。好きなこと、楽しいことにどんどんのめりこむことが、人生の豊かさに直結する」
-角野 隼斗さん(ピアニスト)
「人間は、理屈で飼い馴らせない矛盾を抱え、それでも生きる、生き物のことだ。」
-近藤 康太郎 朝日新聞天草支局長
2022年1月3日(月)
今日、1月3日、大晦日の午前に出かけて以来、家の周りから外に出かけてきました。
感じたことの一つに、「以外と多くの人が出歩いてはいないな」、ということでした。コロナ感染が落ち着いている、オミクロン株もそれほどではない中で、例えば箱根駅伝の遠藤に60万人でたとの報道で印象づけられているイメージとは違った印象を持ちました。
イベント好きな人はまだまだ大勢いるでしょうが、生活行動の変容は出ているのかもしれないと感じました。
話題を変えて、
昨日、娘が「分スマルームが出来たら良い」との話しをしてました。例えばカフェで分煙をするようにスマホを使う人と使わない人と分けたスペースをつくったら良いと。ついでに禁スマルームは入口を入ったらクッキーやチョコが置いてあって自由に取って席に着けるとかすると良いと。
またまた別のネタを。
年末年始のTV番組のどれかで誰かが言っていたのが、2022年は手紙がはやるんじゃないかって。そう、私は実践したい。簡単便利なデジタルコミュニケーションツールは事務連絡だけにして、不便で手間のかかるアナログツールの手紙やハガキを多用していきたいと。
2021年12月30日(木)
ひきこりや不登校のお子さんを持つ親御さんに伝えたい言葉がありました。
娘が図書館から借りてきた、「五感を育てるおむつなし育児」(三砂ちづる著)のエピローグ章、-「子どもの育ちにどうしても必要なこと」の節-からの抜粋
「(子どもが行っている)お稽古ごとについては、『本人が好きと言っている』『本人が楽しそうです』というかたが多いですけれど、それはけっこうくせものです。子どもは賢いし、やさしい。たいして好きでないことでも、親がやらせたいらしいな、と感じたら『好きだ』と言える子どもも多いのです。」
「才能とは、隠しても、隠しても、顕れるものです。どんな逆境にもさまたげられることなく、才能は顕れる。誰にでも才能はあるのだ、などという耳に心地よい言葉はあえて言わないことにしましょう。才能など、生まれ、暮らし、関係性のうちに生かされ、この世を去るのに、ほんとうはさほど必要なことではありません。私たちが生きていくのに必要なのは才能などではない。生きる意思です。才能、は、ちょっとした人生の彩りのようなものでしょう。」
「お母さん、安心して下さい。あなたの子どもには、あなたの子どもの人生が待っていて、ちょっとくらいのあなたの失敗に損なわれたりはしない。顕れるべきものは、親の失敗くらいでなくなったりしない。顕れるものを待っていればよい。そしてそのような"才能“とか、意味ある人生、とか、そういうことが始まる前に、おだやかでゆったりした、『意味などない』時間が、幼い人には必要であるらしいのです。」
でも、花巻東高校の佐々木洋氏の言葉と関連して、親と第三者が子どもに関わるうえで、どうなんだろうと考えさせられます。
2021年12月3日(金)
素敵な言葉を見つけました!
「出ない杭は腐る」、そして「横超」
-おとな二人の午後/五木寛之&塩野七生/2000年世界文化社-
2021年11月19日(金)
大谷翔平がア・リーグのMVPに満票で選ばれた。おめでとう!
昨日の新聞に掲載された花巻東高校硬式野球部監督佐々木洋氏の記事から気になるひと言を。
「指導によってすごい選手を生み出すことは難しいが、だめにしてしまうのはたやすい」
「子どもの才能を開花させるには(盆栽の作り方のような)強制が必要なタイミングがあります。その点で、最近の教育は自主性の重視に偏り過ぎているように感じます」
2021年11月14日(日)
朝のNHKで放送された「量り売りスーパー」、寺岡精工が京都に出店したそうですが、この地域に欲しい!
私の子供時代はこの売り方が当たり前、欧州では生鮮品は量り売りしていますね。
2021年10月29日(金)
NHK朝ドラ「おかえりモネ」が終了。
朝ドラにしてはここまでつくるか!と思った。
人の思いがすれ違い、絡み合うことをシリアスに描いていたと思う。
大きなテーマの一つが「当事者と非当事者」。
福祉の世界でも決してわかり合えないながら離れることなく続いていくテーマだと思っているから、
朝からうるうるとしてしまうことが多々あった。
2021年10月28日(木)
今日、興味を持った文章。
「女性清掃職員が職場に入ってくることで、これまで男女平等や人権の感覚が薄かったと気づかされた。男性職員のみだと、ある意味、楽をしていたのではないかと思う。従来から男のタテ社会の中で年長者が命令し年下が従うことで職場全体の秩序が維持されてきた。近年では、このようなタテ社会は通用しなくなってきたと言われるようになったが、自らの職場で従来どおりのやり方が通用しているがゆえ、それほど現実味がなく無関係と思っていた。‥」
(「ごみ収集とまちづくりー清掃の現場から考える地方自治ー」藤井誠一郎著Kindle位置No.1814)
2021年10月22日(金)
先週の木曜日から3泊4日で神戸の友人を訪ねて、姫路、明石、舞子の街を1日平均で1万歩歩いての街歩きをしてきました。
印象深かったのは明石でして、歩いたのは駅周辺の半径400メートル程度の中だったのですが、その賑やかさに目を見張りました。
その中でベビーカーの母親たちの多さにちょっとビックリ!友人とネット検索から明石市はこども支援が充実していて、人口も税収も増えていることを知りました。
市長の動画からは発想の転換と当事者目線が強調されていたように思います。
それにしても、「福祉」が「まちづくり」の先導役として実績を上げていることにちょっとばかりで無いうれしさを感じました。
2021年10月11日(月)
今日、気に入ったコトバ。
「助けて下さい、って言われることって、すごく幸せなことなんですね」
永浦百音のセリフ。-NHKTV「おかえりモネ」
2021年10月10日(日)
昨日は第2次那須塩原市総合計画後期基本計画策定のための市民ワークショップに参加しました。
もう隠居するつもりなので、こんなことには参加しないつもりでしたが、
「本市が地域づくりを進めていく上での重要な考え方の1つ」として
「分散型地域づくり」と書かれていたので、思わず参加をポチってしまいました。
実は丁度10年前の第1次後期基本計画の審議会に公募委員として加わり、
今回の「分散型地域づくりの方向性」とほぼ同じ意見を出していたことを思い出して
興味を抱いてしまったのです。
バブル崩壊後の1990年代終わり頃からボヤッと考えていたものを
東日本大震災の直後であるこの時期に少しカタチにしてみたのです。
その後の都市計画や立地適正化計画や道路計画などにパブコメで
2011年にカタチとした意見を出してきました。
当然ながら、市が進めていきたい方向とは逆の向きなので、
こんな意見が採り上げられることは無いわけで、
ま、歳も取ったしコロナも出たし、普段の仕事の上で口にするぐらいになっていましたが、
突然のフレーズ発見に少々驚いた次第です。
昨日も「何の特徴も無いのが那須塩原市らしさ」とか「隠れ家的自治体でいいんじゃないの」とか、
およそ計画づくりにそぐわない発言をしてしまいました。
これからのことは若い人たちに任せれば良いと思っているのですが、
今年度中に仕上がるだろう後期基本計画に興味が湧きましたね。
(でも、忘れてしまうかな。)
この1週間の気になるコトバ。
「1992年から2014年までに1人あたり人工資本の価値は2倍に、人的資本は約13%増えたが、自然資本は40%近く減少した」
パーサ・ダスグプタケンブリッジ大学名誉教授/10月3日付け朝日新聞GLOBE
※人口資本=道路や建物など、人的資本=教育や健康など、
2021年10月3日(日)
昨日の午後、5月5日以来のコンサートに行ってきました。
生音は良いですね。
定員を半分にしての客席は8割ぐらいの入りでしたかね。
こんなに人がいる所に出かけたのも5月5日以来かな?あの時は小ホールでしたけど。
しかし、こうやって気軽にコンサートに行けるのも車があってのこと。
まもなく後期高齢者になる身には、行く末の心配があります。
地方では公共交通機関が貧弱だから、
運転を止めたら病院には行けるけどコンサート会場には行くのが大変になる。
今日の朝刊にオーストリア・フォアアールベルグ州の鉄道事情を取り上げた
「ローカル線「公」が支える欧州」という記事がありました。
「公共」に対する税金の使い方を再考してもらいたいものです。
コロナ禍での医療や福祉をはじめとした支援の脆弱さを経験したからこそ強く感じます。
朝刊の1面特集記事は水俣病、
経済成長を追い求めて人の福祉よりも産業の振興に
優先順位を高くするこれまでの社会を問い直すべきです。
(フォアアールベルグ、懐かしい。欧州で最初に滑ったスキー場ZUERSがあるところです。)
2021年10月2日(土)
2年半ぶりの更新です。ずいぶんと仕事を減らせて余裕が出てきました。
これから先、更新が間を置かずに出来ますでしょうか。
さて、今日の気になる話。東北食べる通信の9月号、
「岩手県一戸町・チーズ&ヨーグルトの人/三谷剛史さんと雅子さん」の記事から。
2019年2月3日(日)
今日は節分、旧暦師走晦日です。今年は太陽の動きと旧暦がマッチしています。
さて、昨年2018年はホントに急がしかったなぁ。齢に拠る劣化を感じた一年でした。
今年はブレーキをかけます。年賀状には終活元年と書きました。どこまで仕事を減らせられるか、どこまで終わりの準備ができるか、やってみます。
2018年5月9日 ホームページ復元の今日、今年度最初の多職種連携会議です。まもなく出かけます。
2018年1月3日 新年明けましておめでとうございます、とブログに書いてもピンとこないなぁ。
暮れから正月に掛けて読んだ、印象深い言葉、いろいろ。
「サービス業は働く人の『人に喜んでほしい』という思いに頼りすぎていた」鶴巻温泉旅館陣屋女将、宮 崎知子さん@朝日新聞2017.12.29
「年だからもう転べないのです 矢部さんはいいわね まだまだ何度でも転べて」矢部太郎の大家さん@ 朝日新聞2017.12.29折々のことば
「Fail Fast(早く失敗しろ)」シリコンバレーでよくはなされることば@朝日新聞2018.1.1.田村 敦の記事
「みんな他人の目越しに世の中を見てるような気がして。それって誰のために生きてんだろうなって感じ ちゃう。自分の五感をフルに使って、感じるものに力を注ぐべきかなと思いますね」同上
『万葉集』は、何と「雑」の分類から出発する。中西進@朝日新聞2018.1.1.折々のことば
「競争的環境に置かれると、人間の『生きる力』は次第に痩せ細ってゆくのです」内田樹@「身体知性」 佐藤友亮著から
「すべての個人において時間の感覚は違っている。全人類に共通して普遍妥当するような時間概念のよう なものはありません」同上
2017年12月3日 今夜の月は満月一歩手前、14.6日です。夜空の電気を消してくれ!と言いたいような煌々とした月が中天にあります。スーパームーンだそうですね。私は太陰暦を大事にしていて、わが家のメインのカレンダーは月暦です。で、今日は旧暦10月14日、初冬の最中ですが、例年より少し遅い暦の進み方で、昨冬なら旧暦11月に入っている頃でした。旧暦元旦は1月28日でしたが今冬は2月16日です。今月22日が冬至で一陽来復、昼間が長くなっていきますが、2月の半ばにならないと正月が来ない冬は厳しいものとなる予想が立ちます。そんな私の予想から早割リフト券を2枚購入、久しぶりにスキーをしようと思っています。さて、予想は当たるでしょうか?
2017年11月12日
今朝の新聞に、「みとり促進へ特養に報酬加算~厚労省方針」という記事がでていました。ただ、大きな問題は介護の世界で働く人が不足していることです。人手不足で疲弊し勉強をする余裕もないこの業界で、いくら報酬加算をしても更に逃げ出す人が増えるだけではないかと思ってしまいます。給付と負担のバランスを取る根本的な制度改革が行われることを、一高齢者として望みます。
2017年9月7日
最近、車に高齢者マークを付けました。きっかけは孫をせるために「Baby」マークを買いに行ったとき、隣にあった高齢者マークを見たら70歳から付けることを知りました。むろん、付けるのは努力義務で任意ですが、ふと、付ける気のなかった自分の思いを考えたら、「高齢者と思われたくない」気持ちがあり、それって高齢者は危ない存在という見方であり、大袈裟に言えば差別意識じゃないか、って思ったのです。で、付けてみました。確かにこのマークを付けた車はスピードは遅い、まっすぐ走れない、右左折がゆっくりすぎる、と、簡単に言えば運転が下手な車が多いのは事実ですが、でも、高齢者じゃなくてもそんな車は他にもいるわけで、そんなことを考えたら、なんで高齢者マークなんてあるの?って思ったんです。これって、十把一絡げに性格付けしちゃう日本文化じゃないでしょうかね。血液型性格診断から認知症=痴呆、障がい者=邪魔者などなどの根底を作っている習慣じゃないでしょうか。なので、付けるのをやめま、せんでした。今は、付けていると自分も他車も変化があることを楽しんでいます。
2017年8月15日
どうなっちゃてるんですかね、夏はどこにいったんでしょうね。でも、稲の生育には問題ないようで、現在のところ作柄指数も103だそうです。昨日は義母の初盆で那須町の実家で兄弟が集まり聞いてきた話しです。
2017年7月24日
独立型社会福祉士として活動を開始してから丸三年、当初からホームページの開設を考えていましたが、言ってみればいつまでもその気にならないまま時間だけが過ぎてきました。
ようやく、暇を作れるようになってきて開設しました。ホームページ作成ソフト購入後1年8ヶ月です。
みなさま、これからよろしくお願いします。
2017年8月19日
昨夜、塩原温泉病院で「第12回県北リハビリテーションフォーラム」が開かれ、行ってきました。 テーマは「県北地域での医療福祉連携の現状~地域包括ケアシステムとの関連性~」でした。 福祉職側と同様に医療職側も福祉の動きはあまりみえていないと感じていますが、そんな中、しもつかれいどの世話人の一人、大石剛史さんが「地域福祉の側面から見た地域包括ケアシステム」として講演されました。
多くの印象が残る内容でしたが、特に後半の“見守り隊”を軸にしたインフォーマルケアの組織化を重視した点です。 私はサービス供給側だけで語っている地域包括ケアの話は笛吹いて踊らずの恐れがあると思っています。 住民の参加をどう図っていくかがサービス供給側の鍵で、踊りに合わせて笛を吹くことが肝でしょう。